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役員の退任挨拶に代えて [うちの図書館]

 先日、図書専門部の総会があり、私は欠席しましたが、資料をデータで送っていただきました。新役員が無事に決まったので、役員退任の挨拶のつもりで文章を書いて、役員のSNSに投稿しました。でも、現在の役員以外にも、お世話になった方々もいらっしゃるので、ここにも掲載します。ただし、個人名を伏せるために、一部変えています。

(以下、全文)
 先日の図書専門部総会は、授業変更のやりくりができず、欠席しました。それで委員長に、総会の資料をデータで送ってくださいとお願いしたところ、快く送ってくださり、きのう届きました。ありがとうございました。気になっていた役員も、県央地区はチーフの先生を中心に、人数もそろっていてホッとしました。
 図書専門部の役員を、昨年度までで辞めさせていただきました。この掲示板にも、最後の書き込みです。長文ですが、退任あいさつ代わり(最後の役員会は、時間が押していたので言い出せませんでした)に読んでいただければ幸いです。ただ、思っていることを正確に伝えようとしたら、かなり長くなったので(全体で3400字ほど)全文は添付ファィルにしました。

 創設当時からいらっしゃる先生方には及びませんが、第4回の大会から連続して役員として参加させていただきました。最初は、当時の委員長から「名前だけでいいから」と言って誘われたのですが、大会の運営に関わらせていただいたことで、貴重な経験ができたし、多くの先生、生徒、そして(Keep9さんとか童話の会の皆さんとか)講師の皆さんなどとの出会いがありました。よく、「よそ者・若者・馬鹿者が組織を活性化する」といいますが、「よそ者(国語科ではなく社会科)・馬鹿者」の私が何か役に立てることはないかとアイデアを提案して、それを実際にできて、この14年間はとても充実していて楽しかったです。特にしおかぜ総文祭は、企画、運営ともに必死にやりましたが、やりがいがあって面白かったです。いろいろ無駄に終わった試みもありましたが、それもまた財産だと思っています。出会った皆さんに本当に感謝しています。ありがとうございました。これからは、生徒の引率者として大会を楽しむことにします。生徒が希望すれば、生徒実行委員にも立候補してもらいますので、その時は会議の引率もします(私は会議には参加しません)。よろしくお願いします。

 辛かったこと、悲しかったこともありました。
 私が専門委員長をした1年間は、仕事が辛いと思ったことは全くありません。むしろ、こんな貴重な経験ができて幸せだと思いましたし、その経験は私の財産になっています。特に、図書専門部の「美龍」は、聖和と日大の生徒の協力で良い物ができたと思っています。末永く使っていただければ嬉しいです。
 辛かったのは私に決まる前後と、次の先生に引き継ぐ前後の役員会の雰囲気です。私に役が回ってくる際、委員長のローテーションを、前任の先生から3年にすると決めたばかりで、崩すわけにはいかない。県央地区から委員長を、ということが会議での流れでしたが、「地理さんにお願いしたい」という声はないと私は感じていました(最後の役員会で次期委員長を「○○先生に、お願いできませんか」と私が言ったのは、あの時の重苦しい雰囲気が思い出されたからで、○○先生も嫌ではないかと思ったからです)。私自身も、私は委員長ができる器ではないと思っていたので、自分から「委員長をやります」とは言えませんでした。前任の先生からは「事実上、地理さんしかいないよね」と個人的に言われていましたが、私は心の中で「消去法ですよね」と思っていました。ですから、当時の校長にも役員会の様子を聞かれたときに「県央地区からと言う声はありますが、私にという声はありません」と伝えていました。その後、前任の専門部長がわざわざ来てくださり、校長から「1年だけなら」と許可をいただきました。
 委員長の1年間は、会計も(校内で引き受けてもらえず)自分でしましたし、大会冊子も作らせてもらい、これらも勉強になりました。拙くても、とにかくできる限りのことはやったと思っています。でも、校長は、1年間の約束だ、うちの学校では引き受けられない、とおっしゃいます。それで、私は「うちで引き受けられないのであれば、私を転勤させてください。もし、それがだめなら、★★先生を県央地区に」とお願いしました。当時の役員の中で、委員長として全国大会をリードするのは、県立の先生で、経験が豊富な★★先生が最適だと私は思ったので。私が続けて委員長をするよりも結果として正解だったと思います。ただ、★★先生にはたいへんな思いをさせてしまったと、たいへん申し訳なく思います。

 今回私が役員をやめることにしたのは、嫌だから辞めるというよりは、身をひいた方が良いという考えからです。
 きっかけは、昨年の県大会のビブリオバトルです。私は見ていた中ホールの予選で、たびたび進行に「待った」をかけました。「待った」をかけた理由は司会の進行がまずかったり、タイマーが動かずにバトラーに不公平が生じたりしたからです。しびれを切らして舞台に上がり舞台袖の方に「ちゃんとやってください!」「どうしてちゃんとしたタイマーを使わないんですか!」と言いに行ったところ、その場にいた先生から「生徒が自分たちで考えて作ろうとしているので、今回はこれでやらせます」と言われました。私の考え方とは相容れないなあと思い、「じゃあ、役員を辞めます」と言いました。
 私は、おかしいと思ったことはおかしいと言います。「場を考えずに言っている」と思われたかもしれませんが、あの場は止めなければいけないと私は思いました。係の生徒の考えも、そして、その気持ちを尊重しようという先生の気持ちも(私も若い頃は生徒会で生徒とともに頑張っていましたから)よく分かります。しかし、バトラーにとって不公平になっている=ビブリオバトルが成り立っていない状態を放ってはおけませんでした。まず、進行を止めて、立て直さなければと思いました。もし私が係生徒を指導する立場であれば事前にタイマーをテストして「来年の全国大会ではこのタイマーを絶対に使えるようにしよう。けれど、今回はまだ使えない」と言って生徒を説得したでしょう。そして、このようなトラブルが起こることを想定して、別のタイマーを準備していたでしょう。
 大会終了後に実行委員の生徒に対して「ビブリオバトルはルールをきちんとしないといけない」と言った後のことについて、うちの生徒から聞いたのですが、「(地理先生の言ったことは)気にしなくていい」とその場にいた先生がおっしゃったそうで、私が言ったことはどうでもいいこと、と考えられているのだなと思って、すごく悲しくなりました。

 もう1つ、コンクールの審査基準についての考え方の相違も、遠因(気持ちが切れかかった)ではないかと思います。
 現在の広報紙コンクールの審査基準は、私が委員長を務めたときに整理したものです。それまでのものよりも、評価の観点をわかりやすくし、著作権についての内容を「審査基準」から外して「配慮すべき事項」としてまとめました。著作権については、審査の基準というよりも、それ以前に配慮するべきことであって、きちんとするのは当然だと考えたからです。当時の役員会でも承認していただきました。しかし、出品作品の中に著作権への配慮をきちんとしていないものがあり、しかもそれが入賞することも時々あったので、何度か県大会の最後に参加者全員に向けて話をしました。しかし、なかなか改善できず、ある年に審査(投票の集計)の場で「何だかおかしい」と言ったところ「余り厳しくすると出品が減ります。生徒のやる気を引き出すようにしたい」「著作権の指導は図書専門部ですることなのか」という発言がありました。もっと出品校を増やしたいという気持ちはよく分かります。しかし私は、広報紙を作るときに、表紙の画像の大きさのことや著者名・出版社名を書くことを生徒に一言言えばわかってもらえると思っているし、今まで勤務した学校でそれができていたので高いハードルではないと考えています。

 これらの考え方は、私は間違っていないと今でも思っています。どちらが正しいと言うよりは、何を優先するかという考え方の違いだと思っています。しかし、生徒からすれば、先生方の中でこのように考え方が違っていては混乱するだけでしょう。もし私が役員として大会を運営する側に残っていたら、きっとまた考え方の違いで何か言い出すと思うので、そうしないように私が役員を辞めて若い先生方に任せた方が良いと思いました。

 今年の全国大会はリモートを使ってでも実施できたら良いですね。しおかぜ総文祭の時に、当時の図書部の生徒とUstreamで中継して10人程度しか見てもらえませんでしたが、今なら時代が変わってもっと上手くいくでしょうね。きっと新しいメンバーのアイデアと行動力で大会が成功するでしょう。期待しています。
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